good luck

 

旅立ちを前に、と先生は前置きをした。友達は、ちょうど僕が乗る電車と平行に列をなして並んでいる。まだ発車のベルは鳴っていない。先生の話がいつもみたいに少し長くなっても、まだ大丈夫そうだ。何人もの人たちが、僕らのお別れの場面を横目で気にしているのがわかる。先生の話はやっと新しい土地での友達の作り方まで進んだ。もうすぐ発車のベルが鳴る。窓から顔だけ出しながら、僕はふと思い返す。ここで過ごした一年半の日々のこと。それにあの娘のこと。先生の話が終わると同時に、ベルが鳴った。友達の何人かが「頑張れよー」「気を付けてな」と上げた手を振る。僕は手を振り返しながら、ずっとあの娘のことを考えていた。彼女の言葉が甦ってくる。

 

「good luck」

 

 

僕がこの小さな町に転校してきたのは、小学校4年生の夏。僕は喘息の病気持ちで、その療養のためにお母さんの実家のあるこの町に越してきた。人見知りな僕だったけど、この町の子はみんないい子で、すぐに仲良くなれた。休み時間は、ドッチボールやどろけいをして遊んだ。放課後は近くの海まで自転車で行って、泳いだりビーチバレーをして遊んだ。空気が良くなったからか、喘息の発作は全然出なくなって、僕は人生で一番動いたと言っていいぐらい、運動ばかりの日々を過ごした。勉強はほとんどしなかった。それでよくお母さんには怒られた。

5年生になった頃、転校生がやってきた。青い目をした、金髪の女の子。出身はイギリスだって先生が紹介した。少し先生も緊張している気がした。僕らは全員目をまん丸くさせながら、その異世界からの住人をまじまじと眺めていたけど、彼女はどんな気持ちだったのだろう。彼女自身が簡単な英語で自己紹介をして、微笑むと、クラスで歓声が上がった。みんながこぞって握手に行くのを、先生が必死に止めた。君はずっと微笑みを浮かべていた。僕は席に座って、君のその微笑みを眺めていた。笑っているけど少し悲しそうな、とても不思議な微笑みだった。君の名前は、シェリーといった。

 

日本語はほとんどわからないはずだったのだけれど、毎日毎日僕らが嫌というほど話しかけるから、驚くほどの早さで君は日本語を習得していった。きっと元々すごく頭のいい子だったんだろう。言葉が曖昧なはずなのに、算数や歴史は僕よりも最初から出来ていたから、その上日本語を習得してきた君に、僕が太刀打ち出来るわけがなかった。二学期にはすべての科目の成績を越された。でも、クラスのほとんどの子がそうだったから、特別焦ったりはしなかった。席が近かったからか、僕はよく君に消しゴムを貸した。君はその度「アリガト」と満面の笑顔で言った。その笑みは、最初に出会った時の微笑みと明らかに違っていた。

 

あるとき、クラスで「トモダチ」という言葉が流行った。君が自分と誰かを指さして「トモダチ?」と聞く。指差された子が「トモダチ」と頷く。周りが「トモダチ」と合唱し、ハイタッチをする。よく考えて見れば謎の行動だけど、それを僕らは本当に飽きるぐらい何度も何度もやった。みんな楽しそうだった。指を差されるのが僕の番になって、君に「トモダチ?」と聞かれて僕が「トモダチ」と答えた時、胸に何か刺さったような痛みを感じた。あの時芽生えたものの正体は、なんとなく気付いてはいるのだけど、しばらく秘密にしておいた。

 

その遊びが流行りだす前後で、僕は君と二人で居ることが多くなった。実は僕らの家はすごく近くて、お互い転校生ということもあって、一緒に帰ることが多くなったからだ。そしてよく寄り道をした。小川で岩飛びもしたし、海で貝殻拾いもしたし、森でカブトムシ探しもした。言葉はお互いわからないことだらけだったけど、喋らなくても何だか通じ合っている実感はあった。ある時、僕は「初めて学校に来た日、なんであんなに悲しそうに笑っていたの?」と聞いた。君は一瞬驚いた顔をして、その後黙ってしまった。「ごめん」と僕が言うと、「チガウ。キヅイテクレテアリガトウ」と君は目に涙を溜めながら言った。結局答えはわからなかったけど、もう僕はその理由を聞かないようにしようと決めた。

 

言葉が通じない場所での初めての日。きっと不安でたまらなくて、その不安さがにじみ出たのがあの微笑みなのだろう。そう思って納得することにした。でも、6年生になる少し前の冬。やっとその理由がわかった。

 

「えー、来週シェリーさんが転校します。お父様のお仕事の関係で、オーストラリアへ旅立つことになりました」

 

先生がとっても残念そうに言った。僕らはただ唖然とするしかなかった。最後の挨拶でシェリーは言った。

 

「ワタシ、ココガダイスキデシタ」

 

みんな泣いていた。せっかく仲良くなれたのに、って女子の誰かが言った。そうだよ、なんでだよって男子の誰かも言った。僕は何の言葉も浮かべられなかった。ショック過ぎて、何にも考えられなかった。君が居なくなる。やっと心の奥底から出てきたのは、怒りだった。

 

「なんでこんなに急なんだよ!」

 

僕は立ち上がっていた。目には涙を浮かべていた。クラスのみんなは驚いていた。シェリーは真っ直ぐにこっちを見た。「ゴメンナサイ」と小さく呟いて、「サイショカラキマッテイタコトナノニ、アナタニイエナクテゴメンナサイ」と、とても綺麗な日本語を続けた。それは多分すごく練習していただろう一言で、僕はその一言のおかげで、あの微笑みの理由に気付いた。

 

お別れの決まっている、出会い。サヨナラを告げなければならない、はじめまして。君はそれを知っていたから、この未来が想像できたから、あんなに悲しい微笑みを浮かべていたんだよね。

 

そこからの一週間、僕と君は一言も喋らなかった。何を喋っていいかすらわからなくて、僕は君を避け続けた。最後の日が来て、最後の挨拶で、君はみんなの前でこんな話をした。

 

「good luck」

 

綺麗な英語に、クラスの全員が驚いたけど、よくよく考えてみればそれは当たり前のことだった。

 

「コレハ、ワタシノクニデ、タビダチノトキニミンナガイウコトバデス。アナタノシアワセヲイノリマス、アナタニイイコトガアルヨウニ、ソンナキモチヲコメテ、オクルコトバデス」

 

その一言一言を、みんなが静かに、噛みしめるように聞いていた。一つも漏らさないように、一つもムダにしないように、一つも忘れないように。それから、君は一人ひとりにメッセージを伝えていった。最後の最後に君は、僕を指名して言った。

 

「アナタガイテクレタカラ、ワタシハスゴクシアワセデシタ」

 

クラスの何人かがヒューッと指笛を鳴らしたけれど、僕はうまく反応することが出来なくて固まっていた。君に何か言いたいけれど、言葉が出てこない。結局僕は何にも言えずに、君は最後の登校日を終えた。

 

放課後、教室で一人でぼーっと空を眺めている僕に、先生が寄ってきてこそっと言った。

 

「明日の夕方の飛行機らしいよ。こっちを朝に出るらしい。俺もさ、伝えたかったこと伝え忘れちゃったんだよな。誰かに伝えてもらえると嬉しいんだけど、お願いできないかな?新しい土地での友達の作り方なんだけど」

 

素直にうんと言えなかった。でも次の日、朝に家のチャイムが鳴った。クラスの男子のみんなだった。

 

「ホラ、お前が行かなくて誰が行くんだよ。迎えに来てやったぞ」

 

僕は行くかどうか悩んでいたんだけど、その割に着替えはバッチリ済んでいた。「行く気満々じゃん」と突っ込まれたけど、本当に悩んでいたんだ。だけど、そうこうしているうちにも、時間は過ぎていく。僕は腹をくくった。友達と共に、家を飛び出し駆け出す。バス停へ向かう道で、途中から女子が合流して現状を伝える。

 

「やばいよ、もう出発したって!間に合わないかも」

 

動揺が走る。「どうする?」とみんなが慌てている後ろから、車のクラクション。先生だ。大声で僕らを誘導する。

 

「読み違えた!彼らはバスで隣駅に向かった。電車を使って隣の駅で追い付くしかない!駅に向かえー」

 

僕らは方向転換をし、団体で駅に向かって走る。まだ朝も早いけど、道行くすれ違う人は、何事かとみんなこっちを見る。構っていられない。僕らは、僕は、大切な友達を見送りに行くんだ。息を切らしながら駅へ着いて、切符を買う時にお金を持っていないことに気付く。クラスのみんながポケットからかき集める10円玉で、何とか僕は入場できた。最高に感謝しながら「この御礼は来年度返すね」とみんなへ向かって頭を下げる。駅員さんがその様子を見て、「見送りかな?入っていいよ」と優しい声をかけてくれた。

 

 

旅立ちを前に、と先生は前置きをした。友達は、ちょうど僕が乗る電車と平行に列をなして並んでいる。まだ発車のベルは鳴っていない。先生の話がいつもみたいに少し長くなっても、まだ大丈夫そうだ。何人もの人たちが、僕らのお別れの場面を横目で気にしているのがわかる。先生の話はやっと新しい土地での友達の作り方まで進んだ。もうすぐ発車のベルが鳴る。窓から顔だけ出しながら、僕はふと思い返す。ここで過ごした一年半の日々のこと。それにあの娘のこと。先生の話が終わると同時に、ベルが鳴った。友達の何人かが「頑張れよー」「気を付けてな」と上げた手を振る。僕は手を振り返しながら、ずっとあの娘のことを考えていた。彼女の言葉が甦ってくる。

 

電車は隣駅へ向かって走りだした。君に会ったら、ちゃんと言おう。僕も君に会えて、幸せだったって。ありがとうって。それに笑顔で言うんだ。また会えるよ。だからその日まで。good luckって。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中